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sleepyhead’s diary

また一日が始まる。。

私はこんな人間です!

一応初記事かと思われ。

早速ですがタイトルを考えました。

〜私はこんな人間です!〜

皆さんは自分のことどんな人間か言えますか?こういう話題で僕が思い出すのは"日本人にこの質問をするとワタシはどこに勤めていて、どんな仕事をしているかって話に持っていくんだよね〜HAHAHA!"という話です。まあどういうことかっていうと日本人って凄く会社への帰属意識が高いというか、自分のことを個人として語ったりはしないよねってことだと思っているんですが。この話、どこで見聞きしたのか覚えてませんが、ナルホドと感心したのだけは覚えています。しかしこうしたことが普通だった頃の話だと思うので今よりもちょっと前の話なのかなーと呑気に考えていました。でもちょっと考えていや全然そんな昔の話じゃねぇぞ、まだまだ現役やって思い直しました。

ついこないだそういう事件あったばかりじゃねぇかもう忘れたんか、と自分の頭をどつきたくなります。

電通過労自殺事件

たぶんですがすぐに出てこなかったのは何となく当たり前だっていうのを感じてたからでしょうね。この事件は起こるべくして起こったのだと。実際に僕はこの事件が起きて報道された時、僕の感じたことは信じられないとか、なんでそんなことが、とかじゃなくてまたしてもこうした事件が起きてしまったか…っていう無念というか彼女に対する同情とか、世の中に対する怒りでした。

というのも散々日本の労働時間に対する労働生産性の低さだのKAROSHIが世界に知れ渡ったり、毎年三万人近く自殺している事実だとか、ブラック会社パワハラだとか、そういう言葉を僕らは共有しているはずなんです。少なくとも僕は勝手にそう思っていました。たぶんそれは亡くなってしまった彼女だって共有していたのではないでしょうか。現代情報社会に生き、電通に入社するような彼女が知らないとは思えません。

でも彼女は死を選んでしまったんです。どちらが大事なのか判断も出来なくなるくらいに疲弊して。

 死ぬよりも会社を辞めることの方が重かったんだろうと思います。或いは、辞める、なんて選択肢になかったのでしょうね。彼女はそんな状態にまで追い込まれてしまった。

人生において、いつも上手くやってこれた人間だったのかな、と思ったりします。だからそうじゃない自分を受け入れることや、自分を守るという意識がなかった。守ったりなどしていられなかった。そしてそんな自分にきっと誇りを持っていたはずです。だからこそそうじゃない自分に対する落差も凄まじかったのではないかと思うのです。