sleepyhead’s diary

また一日が始まる。。

小説、日記、ブログ

僕はよく何かを書きます。

そしてよく読みます。

僕は現在ニートなんですけどそういうこと人に言うと、大抵のひとはやることなくない?とか何してるの?とか聞いてきます。はっきり言ってこの返しにどう答えたらいいのか未だにわかってないんですけど、正直毎回言うことが違うと思います。映画見たり、音楽聴いたり…とか言うと優雅だねーとか皮肉を言われることもありますけど、実際僕はそんなに映画見るほど自由に金ないので普通に働いている人の方がアマゾンプライムとか入ったり映画館行ったりしてバンバン見てるような気がします。(僕はもっぱらitunesカードを購入してpcで見てます。)

じゃあ実際何をしているのかって言うと音楽は結構聴いてるのですが、これは何々をずっとしているなんてものが特にないのです。

それにこう言ってはなんですけど、ニートしている→普段何してるの?だとニートになって色々やったので何を話したらいいのかわからんのです。普段やっているなんて継続的なものないんです。近場で何かをしたならそれを話すのですが、最近舞城さんの本読み返してさ、なんて急には言えないですしね。(いや舞城ファンかもしれないけども!)

なのでなんとなく突拍子のないもので、正解に当たらずとも外れない程度に一般化したこと言います。テレビぼーっと見てたなんて言うとまるで一日中ずっと見てたみたいに思われて老人かよ、とか言われますし。(お前ら老人に謝れ)

なので僕の友達とか僕と話した人は僕が何やら変な本を読み、ぼーっとネットをし、ぼーっとテレビを見て偶に映画も見るらしいくらいは知られていると思いますし、それが真実です。

で、ようやく本題なんですが、僕は本を読むのは好きですけど僕の小さい頃って僕はブログを読む機会なんてなかったのですよ。たぶん世の中にはあったと思うのですが。

そうなるとブログの形態って最近読み始めるようになったんだと思います。

昔は僕はドラえもん読んで手塚治虫読んで杜子春読んで、とかあまり活字は読まなくて読むようになったのは大体高校生くらいなんですよね。日記みたいに自分の感情とか定期的に何かを書き出したのもその時くらいからです。

でもなんかそういう書くって行為を僕はあまりいい行為だって受け止められなかったんですよね。日記みたいなのって個人的な感情を書くので、学校で課題として出される小論とかレポートとはやっぱり全然違うんですよ。資料読んでそこから論理的に書くことと、些細な自分の変化を書いたりすることって使う脳みそが全然違う。僕は後者の方は自主的にやるんだけど小論とかレポートはどうしてもやる気になれなかった。

学校とかで評価されるのはどう見ても前者の能力なんですよ。だからというか僕は自分が好んでやっている行為にどんな意味があるのかよく悩んでいました。

今はブログを書くくらいには吹っ切れてますけどそれこそ昔は書く欲求がある自分が嫌いでしょうがなかったです。そんなことやるなら勉強しろとか自分で追い込んでいて、こんなのはオナニーでしかない、とか何の役にも立たないことに時間をかけるダメ人間とか散々自傷行為を繰り返していたのです。

そんなだからっていうか、あまり関係ないですけど、色々書いていくにあたって、小説と日記とブログって全然書き方違うなあって思うのです。

どれが楽かと言うとブログが楽です笑

でなんで楽かと言うとやっぱり短いなって思うんですよ。小説をまともに書こうなんて考えると1万2万字じゃ済まないんですよ。ブログでそれくらい文字数が長いと読むハードルが上がっていきます。なのであまり長すぎないようにして…っていう点は小説よりも楽です。

まあ僕が小説を書きなれてないだけで、短いものを書こうとしたらできるのかもしれないですけど。(長いもの立派なものにしようとすると挫折します)

それと書き方ですね、小説に書きなれてない僕はよくここの表現どうしようとか悩みます。でもブログではあまりそういうことをしません。(もしかしたらこれは僕がブログの枠に囚われ過ぎているのかもしれないけど)ブログでは基本的に描写をすることがあまりないです。彼は大きなあくびをした。それから蕩けた目で時計を見た。なんて文は書きません。かといって話し言葉なのか?というとこんな風に僕は話さないし、一人で誰かに向かってこんなに話さないし…どちらかというと日記よりでいて、描写が少ないので思考的な文章だなあと思います。

この違いが結構面白いなと思っています。今まで僕が書いてきたのは大体日記が多いので、思考寄りの文章を書いてきました。なのでそれに近いブログは書きやすさを感じているのかもしれないです。

そして日記と近いものでありながら違うものも感じています。だからこそ僕がブログを書こうと思わなかった点ですが、それは社会性というか、世の中に開かれていることですよね。極端な話僕の親にもこれが読まれる可能性だってあるわけで誰でもこの文章を読めるってことです。(まあウチの親は僕の日記を読もうと思えばpc、スマホ、ノートに散乱しているそれらを読めるけど)そんなものを僕が書けることにインターネットのすごさを感じますが、とにかく今までは上記の書くことの後ろめたさからブログを書くなんて殆ど考えてなかったのですが、色々な人にあって、話して、見たり、読んだり、とかそんなのが僕を変えていったのかもしれないですね。

で日記と比べてブログが楽な点は僕にとっての日記があまり健全ではなく、病んでいる時過去を後悔したり点検する時に発動する類いのものだからだと思います。(やらないよりマシだがやったからといって気分がスッキリ爽快になるわけではない。)楽っていうかこれは気楽って感じですかね、深刻さとでも言うんでしょうか。不真面目なわけではないですよ。

まあもしかしたらブログが楽じゃなくなってきつくて嫌いになるかもしれないですけどね。